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羽海の空

うみねこからどっぷり07作品にハマった勢。 本ブログではキコニアのなく頃にの考察をします。 キコニアの押しは主人公の都雄くん。かわいい。 コメントや感想はこちらからお願いします。 https://form1ssl.fc2.com/form/?id=218b611607fef2e5

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オベロンについての考察
注意事項
この記事は
・所詮憶測妄想の産物
・ただオベロンに数か月狂わされた人間の妄言の様な考察
・合わないと判断した場合は即ブラウザを閉じましょう
オベロンにくそ重感情を抱かされている

まさかのこのブログでこの記事を書くとは思わなかったんですよ。
多分今後は07のみになります。


嘘の具現化サーヴァント、オベロン・ヴォ―ティガーン。
おそらく、今後実装されるプリテンダーを予測していても、
コイツは例外中の例外だと思われます。
何というか、心理面合理面で数か月考察した結果
なんもわからんという結論を出しそうになる始末。
なので、別のアプローチから考えました。
真実を先に探るのではなく、嘘からあぶりだしてやろうと。
そしたら結構面白い事に、ぽこじゃかと出て来た。やばい。
本文章はそれらをまとめたうえで、オベロンが妖精國ブリテンとカルデアに来てから本当にやりたかったこと。また、現在進行形で行っている事の個人的解釈での纏めになります。
1,オベロンが本当にやりたかったこと。
結論を先にいうなら「妖精國ブリテンを含めた、自分自身をほぼ半永久的に忘れさせないようにしたかった」
これは、度々作中での彼の扱い、モース化の原理が一番わかりやすいかと思います。
モース化はまず、自分の根本存在意義の忘却から始まります。
人間に例えるなら「宿題をしないといけないのに、目の前にゲームがあったからそっちをしちゃった」に近い感覚かなと。
作中だとマイクが分かりやすいです。
彼は、本来あの店の店長という役割を持っていた妖精でした。
しかし、ダ・ヴィンチちゃんと出会い、いろんなことができるようになります。ここでまだ「ダ・ヴィンチが教えてくれたことが楽しい! こっちに夢中になるぞ!」となればモース化は避けられました。
自分の本来のやる事、やらなきゃいけない役割を放棄しない限り、妖精たちはモースになりません。
しかし、終盤に近付くにつれ、彼はだんだん興味の矛先が「学んだ技術」から「ダ・ヴィンチちゃん」に変化してしまいました。
つまり「ダ・ヴィンチに教えてもらったものを生かせば、店は発展する」という先があるという特異点の性質から。
「ダ・ヴィンチが居れば、以前の何もない自分に戻らなくていい。今の安定した自分のままでいられる」という、現状維持で変化のない異聞帯の性質に変化してしまったのです。
モース化は所謂、特異点からの異聞帯化。
まだ将来、未来、希望のある思考からの、未来も無い繁栄も無い希望もない。現状維持に必死にしがみついているという思考の変化です。
分かりやすく言ってしまうのであれば、みっともない行為であり思考と一般的には言われやすいです。
ここで、終盤のオベロンとAAのお互いのセリフを見ると、お互いがお互いを「みっともない」と言い合っています。
オベロンは帰って来て、マスター藤丸立香を守るために立ち塞がるAAに対しての「去った役者が舞い戻ってくるのはみっともない」
この場合、ニュアンス的には「もう出番も何もないんだから戻れ」分かりやすく言うなら邪魔するな。帰れ。という事でしょう。
一方でAAは「終わるべきものに引導を渡すという行動自体は正しいが、未来のあるものにまで引導を渡そうとするな」
この場合、ニュアンス的には「勝手に他の者の事にまで茶々を入れるな」「他人事に対して我が事として関与しすぎ」という感じになります。
そう、作中でキャストリアが言っていた「オベロンは他人を優先しすぎている」の言葉。一件すると、他人思いの優しい人のように感じ取れますが、彼はそれが過剰かつ異常です。
オベロン・ヴォ―ティガーンは他人の為に動くのではなく、自分の思惑に他者を誘導させたうえで「お前が望んだんだ」と嘯く英霊です。
なので彼がブリテンを滅ぼしたい理由の「気持ち悪いから」も、彼本人
ではなく「ブリテンを気持ち悪いと思った人々がいるからその代行者、代弁者となった」
ティターニアに関しても彼本人が「ティターニアを探している」のではなく、物語序盤で主人公が「ティターニアは?」と聞いてきたので「主人公がティターニアを求めたオベロン。というイメージを持ってしまったため、自分が探している様に演じている」という事になります。
つまり、最序盤で主人公がティターニアのことさえ聞かなければ、オベロンはティターニアを探すことはしなかった。
ティターニアを望む妖精王オベロン。という役を被る事はなかったのではないかと思います。
じゃあ、そもそもなんでわざわざそんな役被ってるの? という本題へ行きましょう。それこそまさに「常に自分を求めさせたかった」という彼の性質です。
この場合の性質はヴォ―ティガーンではなく、妖精王オベロンのもの。
彼の原典の一部である夏の夜の夢では、オベロンは端的に分かりやすく言うなら
・余計なおせっかいで人間を巻き込むトラブルメーカー
・今は亡き友人の子を大事にする妃から子供を奪う強欲者
・かつ、其れで妃に切れて他者に惚れさせるとんでもない奴
・その上で妃が別の者に惚れたら嫉妬で狂い、元に戻そうとする
・最終的には全部うまくいっている上に、全部手に入れた
という、異世界転生系主人公でもダッシュで殴りたくなるようなキャラクターです。
多分除夜の鐘でも煩悩を消し去れないんじゃないかと思います。
そう、本来であれば彼は「求める側の性質」になる筈でした。
しかし、ここでヴォ―ティガーンという「終わりを求める」という性質が混ざり込んだ結果。
「終わった者、終わりそうな者に対しての終わりを求める」という死を救済の様に感じる属性に出来上がったのです。
彼の絆5のボイス
「何も俺が特別なわけじゃない。大切なものがあろうとなかろうと、誰だって終末を夢見ることはある。自分の責任ではない死──自分たちでは変えようのない終わり……そういうものが救いに思える時が、人間には必ずあるのさ」
は。分かりやすく言うなら
「俺はきみ(マスター藤丸立香)に終わりを与えられる」という事になります。要は隣で「いつ死ぬ? いつでも殺してあげるよ?」と言ってくるヤンデレ彼氏彼女のような状態です。率直に怖い。
そしてここに、ずっと演じ続けていた「主人公の為に、ティターニアを求めている妖精王オベロン」という役も入っているので。
「ティターニアへの愛の為に汎人類史を滅ぼそうと呪い続けるオベロン」が出来上がります。
そしてここでおのずとティターニアの正体もわかってきます。
そもそもオベロンにティターニアのことを聞いてしまった張本人、藤丸立香その人です。演じさせちゃったからこうなっちゃった。
じゃあ、ブランカは? キャストリアは? となりますが、彼女たちには別で
ブランカ→ブランカが恋した秋の森の妖精王、王子様。気高く美しい彼女にふさわしい王子。ちょっと不用心だけど頼れる隣人。だから周りよりもかなり優しめに接している。
キャストリア→マーリン。魔術の師であり、彼女を導く者。彼女の保護者。だからちょっと厳しめに接している。
要は三者三様に対等の相手、王子、導き手と演じ分けていただけでした。
そもそもブランカは見た目カイコガですが、彼女自身は妖精なのでカイコガですらない。むしろEXアタックの挙動を見た感じ、下手したら藤丸より強い気がします。6kgを猛スピードで飛べるのはすごく強い。
何なら作中で妖精は人間より強い事を何度も示唆されていますからね。
恐らく、あの中で一番弱いのは人間のマスターである藤丸立香だったんじゃないかと思います。精神面は一番躍動してますが……。
ではなぜ、「妖精國ブリテンを含めた、自分自身をほぼ半永久的に忘れさせないようにしたかった」のか。
それはまさに、彼自身がブリテン島の意志だったからです。
ブリテン島として、純粋な来客のカルデア一行と、その中で自分に「妖精王オベロン」として演じることを続けさせてくれた藤丸立香への、彼なりの気持ちだと思います。
オベロンは自己愛が全くない事が絆6プロフィールにて明かされています。裏を返せば、彼の持っていない自己愛の部分は第三臨もとい本性のオベロン・ヴォ―ティガーンの部分であって、1~2臨の妖精王オベロンではありません。
彼が嫌いなのは「これは所詮嘘」と知りながら、嘘を被り続けて居た事。
その嘘が一時であれ、本物となっていた場合は、彼はその役事自分を愛する事が出来ました。
そしてこれは、ブリテン島も同じ。本来終る筈だった滅んだ自分が嫌いなブリテン島。偽りだと知ったまま続いてるのがひたすら気持ち悪かった。けれど、もしこの妖精國が異聞帯(もしも)ではなく特異点(本物)だった場合は?
物語終盤、藤丸立香との秋の森での対話で、彼は語りました。
ずっと偽物の役を嫌々やっていた。けど、自分の前でそれを本物だと思ってくれる人が、わざわざその条件を提示してくれた。
最初は騙すためだった。けれど、きみが信じていたくれてた間は本物の妖精王オベロンだったんだ。
故に、最後の最後で彼はカルデア一行を奈落に飲み込み、その上で目を覚ました藤丸立香を殺そうと誘導しています。
信じてくれたものが信じ続ければ、忘れなければ決して嘘にはならない。けど、彼は彼自身の呪い。行動も言葉も嘘になる呪いのせいで、いずれ正体がバレてしまいます。
嬉々として演じれば演じるほど、嘘の嘘。ホントの姿が明るみになってしまうのです。
だからせめて、あの夏の夜の夢を知ってる者達を葬り去ろう。これ以上真実を知る事が無いように。自分が本物の妖精王オベロンとして完成できるように。
彼の最後の行動は、ヴォ―ティガーンの役割としては余計な行いでした。しかし、そこには演じ続けて獲得した本物の愛がありました。
これ以上醜く、ブランカが望んだ王子様が崩れないように、ブランカを彼は奈落の虫へ落しませんでした。
それは確実にブランカへの愛です。
キャストリアを庇い、再会さえ望まなかったのも。キャストリアが見ていた、自分を導いてくれた恩師のオベロンの像を崩さない為。
これも確実にキャストリアへの愛です。
そして……自分達を本物の特異点の妖精國ブリテンとして救おうとした、本物の妖精王オベロンとして仲間として接してくれたカルデアにも愛を……。と言いたいところなのですが、ここだけ純粋な愛ではないです。
正確に言うなら愛憎。憎悪が混じっているのです。
そもそも、カルデアという組織が無ければ妖精國ブリテンはきちんとした歴史で終わっていました。
しかし、ベリルがモルガンを召喚してしまったせいで妖精國ブリテンは生まれました。元を辿ると大体カルデアのせいになります。
そしてマスター藤丸立香。自分を妖精王オベロンとしてみていた張本人。何より、何度もその躍動をやめろ!と言っても全く聞きやしないスーパーノンストップ躍動人。失意の庭での絶対止まらない様子。
2騎召喚するなと言われたら、2騎召喚を二回も行い、後輩の元へ駆けつけるタフネス。やっぱ型月の一般人も主人公も何も信用ならないことを我々に刻み付けた我らがぐだーず。
オベロンからすれば「もうコイツ、ここで絶対止めないと今後絶対止まらない。ふざけんな」レベル。
しかも自分のお節介を聞いたふりして、全く効かないので可愛さ余って憎さ百倍。
多分なんとなくこう思ったのでしょう。お前は俺の在り方という役を散々捻じ曲げたくせに、なんでお前は一切ねじ曲がんないんだ!ふざけんな馬鹿!
型月主人公にそんなこと言っても無駄です。諦めろ。
オベロンがいくら、きみはティターニアと藤丸立香に言おうとも、結局彼の言葉は捻じ曲がる。と言いますか、このねじ曲がりは「受け手にとっての解釈がさまざまに変わる」という事になります。
なので、ブランカティターニア派、キャストリアティターニア派、ぐだティターニア派、ティターニアはそもそも別にいるんだよ派、もしかしたらオベロン自身がティターニア派など。プレイヤーによっても解釈が分かれるのです。
彼の真意など無視して、我々も躍動しているのです。むしろ、其れでいいのです。それが藤丸立香であり、我々プレイヤーです。
LB6で珍しく明言する作風の奈須きのこがボヤカシという幻想を多用したのも、恐らくこれが目的かと思われます。
藤丸立香は藤丸立香、プレイヤーはプレイヤー。別の未来がある。
だから一緒に終わってあげるという選択肢を正解にしないようにしている。
オベロン本人も言っています「僕の妃は本当は在ってはいけないんだ」
これは「居て欲しい」と「きみであってほしい」という気持ちと共に、オベロン・ヴォ―ティガーンの良心、一人の登場人物に対しての最大の「藤丸立香は藤丸立香として接したい」という最大限の友情の証です。
……口にしたせいでねじ曲がってしまったんですがね。
そんな不器用な彼だからこそ、言葉を捻じ曲げようが行動がねじ曲がろうが、必死に紡いで繋げて、我々の心に残ってほしいと思ったのでしょう。
2.なんで召喚に応じたの?
これも結論から言うと「おまんがティターニア」「汝はマスター罪ありき」です。
順を追って説明します。
先程、オベロンは偽物ながらもちゃんと本物の愛を持って終わらせようとしていたという話をしました。
しかし、これでちゃんと終わったのはブランカとキャストリアのみ。
藤丸立香もカルデアも終わってないわけです。
寄りにもよって、自分を生み出した大本の元凶と、役割をさらに付与した異邦の魔術師は終わらせられなかったわけです。
なのでオベロンは、負ける間際で方向をチェンジしました。
それこそまさに「自分達を忘れないでほしい」
ではなく「自分達を求めるように仕向ければあっち行けるんじゃね?」という感じに。
お前散々オベロンを良い奴扱いしたのに、ここで掌返すのかよ?って思われそうですがそうです。
そもそもオベロンに真実なんてないのです。どっちも表でどっちも裏。そこにいる透明人間とはまさにこのこと。
オベロンは第三臨の撤退ボイスでもわかる通り、負けるという事が相当嫌いなようです。彼の撤退ボイスの一つが
「別に悔しくはないけどね?次にあったら。殺してあげよう」
とまぁ、明らかに恨んでます。呪ってます。
それもそうです。ブリテンでは、自分が必死に練り上げた計画を最後の最後にパーにされたんです。
カルデアでの戦闘時では、自分を戦力として求めているマスターの前で撤退(戦力外)になったという事です。
求められていた役にノリノリで演じて居たら、途中退場を言い渡された、邪魔されたとなっては彼はキレます。
なので召喚された彼は「やぁ僕を求めたきみ! 会いに来たよ。今度こそ終わらせてあげよう」という愛の感情と
「やぁ、俺を終わらせやがったカルデアのクソヤロウ! 今度こそお前を自分から終わりを望むようにしてやる」という憎悪の感情でやって来てます。人理君ここ致命的ガバです。
要するに「大好き殺す」という、ヤンデレの彼氏彼女状態で来ているのです。末恐ろしいね。惚れさせた覚えはないのに、彼の中ではすでに惚れてるので無意味です。愛はない(愛憎はある)
とはいえ、彼の言葉に真実も嘘も無いです。信憑性がないのです。
ではなぜ、信憑性が無いのか。もちろんプロフィールには呪いと有りますが、恐らくこれは本人もしっかり熟知しています。から、わざと利用しているというのもあります。
我々人間には知的好奇心というものがあり、秘密や真相が無いと分かると、どうしてもそれを知りたいと思う側面があります。
特に怪物や怪獣、怪奇現象に対しては、化学などで正体を知る事で恐怖を緩和で来て安心できます。
未知が既知となった時、人間はモノに対しての恐れを克服し、好奇心を一時的に満たせて満足できるからです。
ですが、オベロンはそれを逆手に取っています。
常に嘘を吐くというのは、常に本当の事を知らせない、与えないという事。常に知識欲に飢えさせ、常に興味を持たせ続けることになります。
特に、カルデアや妖精國ブリテンでは様々なサーヴァントや妖精たち、登場人物たちが居ました。
オベロンの観点からすれば、いつでも自分という存在は埋もれやすかったのです。ですので、わざと嘘とホントを織り交ぜる。そして、自分を常に気になる存在、疑う存在へと昇格させ、プレイヤーや主人公の気を引かせる。
もちろんこれは、ブランカやキャストリアにも同様に行っています。
自分に恋するブランカには、友人という事で彼女の恋を実らないように飢えさせました。そうすることで、秋の森の女王の恋心は自分だけに向くようになっています。
故に、彼自身後悔もあります。特にブランカに対しては、自己愛の無い素の自分を好いてくれたこともあってか、最終再臨ボイスの「……なぁ、聞かせてくれよブランカ。君の物語は満足の行くものだったのかい?」という、悲しみと自虐と懺悔めいた事を告げています。
これをマスターにも聞かせることによって、この言葉が嘘ではないと信用してもらいたかったのかもしれません。
あと、もし仮にブランカの恋が成立しようものなら、彼女の存在意義が崩れてモース化してしまいますからね。
彼なりに彼女のモース化を阻止させたかったんだと思います。
キャストリアには、自分が魔法を教えたマーリンという事を徹底的に黙っていました。あくまで自分は導き手のオベロン。
そうすることで、本来マーリンに向けられる敬愛も友愛も自分向くようになりました。
もちろんこちらも、彼なりに思うところがあったようで彼女に向けたボイスも同様に自虐と懺悔と共に愛おしみのあるものとなっています。
なので、オベロンにとってティターニアだけが唯一の愛ではないという事です。そうじゃなくても、彼は秋の森の女王の恋も、預言の子の友情も、ずっと大事に受け取っていたという事です。
もちろん、恋には恋で、友情には友情に返すのが道理ですが、彼は奈落の穴。無限の底のない穴です。ずっと吸い込むだけの穴が、彼女らに相当の価値の物を返せるはずもなく、できるのは幸せな夢を見させ続ける事だけです。
それが彼の死が救いじゃなかった彼女たちへの精いっぱいの愛情なのだと私は信じたいです。
一方で我らが主人公藤丸立香に対しては、絶賛猛アピール中。
なんたって相手は、自分が嫌悪していた与える死が救いになる様な人物です。おまけに自分の素も知っているので、演技する手間も省ける。
オベロンにとっての藤丸立香はまさに、半永久的に遊べる求めてやまない玩具であり、人間であり、ティターニアなのでした。
ほんとに人理君はこの人選で良かったの……?
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